2015年12月07日

堤真一や堺雅人の“極貧”下積み時代

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1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:04:46.17 ID:CAP_USER*.net
ボロアパートに住み、稽古とアルバイトの毎日。ご飯も満足に食べられない。銭湯にも行けず、台所で体を洗った。成功する日を夢見て、懸命にもがいた俳優たちの汗と涙の下積み生活を一挙公開。

部屋にキノコが生えていた

東京・笹塚にある四畳半の木造アパート。1階の角部屋で家賃は2万5000円。風呂なし、共同トイレ、もちろんクーラーもない―。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』('05年)や朝ドラ『マッサン』('14年)などで知られる俳優・堤真一(51歳)が、20代の頃に一人で暮らしていたアパートだ。堤はここに8年間住んでいた。

堤が千葉真一主宰のJAC(ジャパンアクションクラブ)出身であることは意外と知られていない。

堤の幼馴染で、一緒にJACに入団した俳優の戸谷昌弘氏が語る。

「地元兵庫から堤と一緒に上京した時のことは今でも覚えています。当時JACの一公演のギャラが月2万7000円でしたから、家賃を差っ引くとほとんど手元には残らない。給料は歩合制だったので公演がないと収入がない月もありました。

堤の部屋は木造のアパートで、ドアもボロボロ。カギはほとんど意味をなしていなかった。あいつが不在でも勝手にドアを開けて入っていましたね(笑)」

日中は稽古に励み、夜は工事現場や飲食店でアルバイト。だが生活は苦しく食べるだけで精いっぱいだった。

「堤の部屋にキノコが生えているのを見つけたことがあるんです。さすがに食べませんでしたが、一瞬迷いましたね(笑)。それくらい皆おカネがなくて、いつも腹を空かせていたんです。

同期に九州出身のやつがいて、実家から猪の肉が送られてきたので、それを鍋にして堤の家で食べたのを覚えています。まさにご馳走でした。酒を飲むより食べるほうが大事でしたから。

あと堤の家に泊まった時に、彼が作ってくれた朝ご飯の味が今でも忘れられません。トーストの上にコンビーフをのせてそこにマヨネーズをかけて焼くんです。これが安くて手間もかからず本当に美味しかった」(戸谷氏)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151206-00046616-gendaibiz-bus_all
現代ビジネス 12月6日(日)6時2分配信



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2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:05:32.67 ID:CAP_USER*.net
台所の流しで体を洗った

戸谷氏によると当時の堤は、「絶対役者になりたい」という強い思いはもっていなかったという。

「当初、堤は、JACに入った動機もはっきりしていなかった。

でもある日二人で酒を飲んでいた時に、堤が『坂東玉三郎さんと出会って、ようやく自分にとってやりがいのある仕事が何か分かった』と言ったんです。ちょうど堤が真田広之さんの付き人をやっていて、『天守物語』という舞台に出演した時のことです。そこで堤は、獅子頭に扮して舞台に立ったのですが、誰も見ていないと思っていたら、玉三郎さんが熱心に指導してくれた。それで堤の芝居魂に火がついたんです」

やがて堤は、アクション中心のJACでは「自分の芝居ができない」と退団を決意。その後、他の劇団の舞台に出演するが、生活は相変わらず苦しかった。過去に堤はこう語っている。

「貯金なんてなかったから、その頃は親父が遺してくれたカネを食いつぶしていました。といっても大した額じゃなかったから、月々使えるカネはわずか。食費を切り詰めるため、カップラーメンとか、もやし炒めばかり食べていましたね。

二十代は真っ暗闇の状態だった。どこに行っていいのかも分からないし、これから本当に生きていけるのか、不安で不安でしょうがなかった。それでもカネのために、意に沿わない仕事をやる自分が許せなかった」

自分のポリシーを貫き通した堤は'00年、松嶋菜々子主演のドラマ『やまとなでしこ』でついにブレイクする。36歳のことだった。

JACの同期生で、俳優の岡元次郎氏が言う。

「同期として、羨ましいという気持ちがないと言ったら嘘になるかもしれないが、それ以上に堤君がこうして成功してくれた喜びのほうが大きい。役者は、続けること自体が難しい世界。だから彼が活躍してくれることが、僕らにとっても励みになっている」

仲間由紀恵の夫で俳優の田中哲司(49歳)も「下積み時代は、とにかくカネがなくて辛かった」と語っている。

「ずっと風呂なしアパートだったから、今でも銭湯って言葉を聞くと苦い気持ちになるんですよね。20代の頃は本当に貧乏で、銭湯に行くカネもなかった。カネがあったら銭湯より、一食、飯食うことを選んでいた。

風呂に入れないから台所の流しで体を洗ってね。あまりにカネがなくて水道まで止められてしまった時は、外にある隣の部屋の洗濯機から水を拝借して、それで体を洗ったこともありますよ」

田中は日本大学藝術学部演劇学科出身。同級生で今も役者を続けている者は一人もいないという。

「役者って本当に食えないですからね。だから皆辞めていくんです。僕もあの下積み時代は本当にきつかった。仲間が去って行くのは寂しいですが、でもそれが役者の世界なんです」(田中)



3: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:06:16.79 ID:CAP_USER*.net
「勘当」された堺雅人

強がってないと、不安で押しつぶされそうだった―。
そんな下積み時代を経験した俳優もいる。ドラマ『半沢直樹』('13年)でトップ俳優の仲間入りを果たし、来年のNHK大河ドラマ『真田丸』で主役を演じる堺雅人(42歳)。

早稲田大学に進学した堺は、故郷の宮崎から上京し、2年間は市ヶ谷にある学生寮(家賃1万7000円)で生活をしていた。

高校時代から演劇部に所属していた堺は、早稲田の名門、演劇研究会に入会。その時の気持ちを自著にこう綴っている。

〈劇研に入る以上は半端な気持ちでやりたくないと思っていましたから、ゆくゆくは大学を中退することになり、親からの仕送りもなくなると確信していました。経済的に孤立した状態で、細々とバイトで食いつなぎ、一生定収入が見込めないイヤ~な大人になるんだろうな、と(笑)。そこまでシミュレーションしながら、出家するような気持で入りました〉(『文・堺雅人』より)

その言葉通り、堺は大学を3年で中退。親からは勘当され、7~8年間は絶縁状態が続いた。仕送りは途絶え、食べる物にすら苦労した。あまりの空腹に、道端の雑草を口にしたこともあったという。

堺の高校時代の恩師であり、現在も親交の深い、歌人の伊藤一彦氏が言う。

「大学を中退してデビューするまでの5~6年は苦労していました。でも彼は決して弱音を吐きませんでした。

下積み時代は、空いた時間にひたすら本を読んでいたそうです。演劇や文学、それに遠藤周作の『イエスの生涯』など、宗教や哲学に関する本も読んでいた。苦しい時も学ぶことを忘れなかった。

彼が当時の苦労話をあまりしないのは、そういった日々の苦労を日常的に捉えていたからだと思います。人生、どれだけ苦労したからといって、必ず報われるわけではない
でもそう思いつつ努力を怠らなかったからこそ、下積み時代を乗り越え、俳優として花開いたのでしょう」



5: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:07:24.61 ID:CAP_USER*.net
悶々として妻を怒鳴った

柔和なルックスで優しい父親役から冷徹な殺人犯まで、さまざまな人物を自由自在に演じる、小日向文世(61歳)。今や名バイプレイヤーとしてドラマに欠かせない俳優の一人だ。

小日向は、北海道から上京し東京写真専門学校を卒業後、演出家の串田和美氏が主宰するオンシアター劇団に入団。串田氏に鍛えられ、劇団の中心俳優として活躍する。

私生活では同じ劇団に所属する11歳年下の後輩女性と39歳の時に結婚。長男も生まれ、幸せな生活を送っていた。

ところが、長男が誕生した1年後に劇団が解散。突如として仕事を失ってしまう。新たに芸能事務所に所属し、映像の仕事を求めたが、舞台では知られた存在でも、映像の世界では無名だったためオファーはほとんどなかった。

小日向は当時の心境をこう明かしている。

「毎朝事務所に電話して『仕事入っていますか?』と聞くと『入っていません』とだけ言われるんです。仕方ないから、近所の公園に息子を連れて行くのが日課でした。でも公園で奥さんたちに話しかけられると、なんかいたたまれなくてね」

事務所との契約は給料制ではなく歩合制だったので、仕事がなければ給料はゼロ。生活費がなくなると、事務所の社長に給料の「前借り」をする生活が4~5年続いた。

「妻は『もっと働いて』とは決して言いませんでしたが、仕事もなく家でゴロゴロしていると、自暴自棄になって、精神的に落ち込んだこともありましたよ。

狭い部屋ですから、妻が掃除をしていたら、横になっている僕の体に掃除機が何度も当たるんです。それで『言いたいことがあるなら言えよ! 』と怒鳴ってしまったこともありました。すると妻は怒るでもなく『かわいそうに』と言って、僕を抱きしめてくれたんです」(小日向)

そんな小日向に、転機が訪れたのは'01年。木村拓哉主演のドラマ『HERO』への出演だった。これを機に様々な仕事が舞い込むようになる。

後年、小日向は妻からこんな言葉を聞いた。

「苦しい時も妻は『絶対なんとかなる』って思っていたみたいです。今の僕があるのも妻のおかげ。家族の支えがなかったらどうなっていたか分かりません。だから僕は、今でも仕事が終わったらまっすぐ家に帰るし、家族と一緒にいる時間を一番大切にしている」



6: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:07:48.65 ID:CAP_USER*.net
名実ともに名優と言われる西田敏行(68歳)にもこんな下積み時代があった。西田の初期のマネジャーで、芸能プロ・ワイティー企画の舘野芳男社長が当時を振り返る。

「西田さんは『青年座』に入った直後から劇団の主力俳優になりました。ただし、生活は楽ではなかった。ギャラは脇役が一舞台3000円、主役でも最高8000円でしたから。役者の場合、養成所に通っている頃はバイトもできるのですが、主役級になると忙しくてバイトもできない。主力になればなるほど、生活はより苦しくなるのです。

しかも主役級になれば大量に公演のチケットを売らなくてはなりません。西田さんもチケット売りに奔走していました」

西田は、生活のため舞台の合間にドラマ出演をして稼いでいたが、最初は役名すらない端役だった。舘野氏はある単発ドラマに、西田が出演した時のことが忘れられないと言う。

「そのドラマの主演は佐久間良子さんでした。すでに大女優でしたから、彼女のマネジャーが気を利かせて、スタッフや共演者にケーキを差し入れてくれたんです。ところが、ケーキの数が足りず、端役の西田さんには回ってこなかった。周囲は気にも留めませんでしたが、西田さんは内心すごく悔しがり、恨んだようです」

どうでもいいことだからこそ、逆に自分のミジメさとちっぽけさを痛感したのだろう。下積み時代の西田にとって、その「ケーキ事件」は屈辱的な出来事だった。

その後、西田は『西遊記』('78年)の猪八戒役などが当たり、一躍人気者に。'81年には大河ドラマ『おんな太閤記』の豊臣秀吉役が来るまでになった。

「ところが、せっかくの大役なのに西田さんは出演を渋っていた。理由は、『おんな太閤記』の主演が、あのケーキ事件の佐久間さんだったからなんです。

ところが、その後、佐久間さんと出会い『共演が楽しみだわ。よろしくね』と声をかけられると大喜びで出演を決めました。そこでやっと下積み時代の『トラウマ』から解放されたんです」(前出の舘野氏)



7: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:08:46.56 ID:CAP_USER*.net
ただ演じたいだけだった

安定した収入を捨て、あえて厳しい俳優の道を選んだ男もいる。ドラマ『JIN-仁-』('11年)や大河ドラマ『花燃ゆ』に出演し、その独特の風貌と演技で高い評価を得ている佐藤二朗(46歳)だ。

佐藤は信州大学卒業後、リクルートに入社。だが、入社式の雰囲気に違和感を覚え、一日で退職してしまう。その後、俳優を目指して劇団文学座に入団。

劇団時代の友人が当時を振り返る。

「当時はおカネがないので居酒屋にも行けず、安い焼酎を1本だけ買って、誰かのアパートに集まって飲んでいました。飲みながら朝まで芝居の話をして、午前10時に稽古場へ向かう。二朗君は、よく遅刻しては指導官に怒られていた(笑)。

あと苦労したのは、自主練習のための稽古場の確保ですね。当時のきちんとしたスタジオの使用料はだいたい4時間で5000円。僕らの給料じゃ到底、払えなかったので、稽古は決まって区民集会所でやっていました。ここだと同じ4時間でも300円なんです」

同期の中での佐藤は、意外にも皆のまとめ役だったという。だが一方、舞台では「我を通す」性格が如実に出ていた。

「二朗君の芝居って独特というか正統派じゃないんですよね。だから先輩や指導官の意に反する演技をして怒られることもしばしば。でも彼は自分の演技や俳優への情熱に確固たる思いがあって、どんなに怒られようと、失笑を買おうと、けっしてめげなかったし、ブレなかった」(前出の友人)

だが、こだわりの強すぎた佐藤には、一向にいい役が回ってくることはなかった。

「自分はこんなに演技がしたいのに、それを披露する場もない」―。一度は俳優を辞め、小さな広告代理店に就職し直したが、俳優の夢が捨てきれず自ら劇団「ちからわざ」を立ち上げた。

「型にはまらないことでようやく二朗君の本来の才能が発揮されたと感じました。

それでも自分で劇団を立ち上げた当初は、文学座とは違う苦労がたくさんあったようです。まずメンバーがいつも不足していたので、そのキャスティングに日々奔走していましたし、チケットを売るために、代理店時代に培った営業力を活かしてこまめに手紙を書いたりもしていました」

さらに友人は続ける。

「二朗君はいつも『もっと目立たなきゃダメだ』と言っていました。極端に言えば、その芝居をつぶすくらいの勢いでやらないといけないと。無名の若手俳優にとって、これは口で言うほど簡単ではありません。でもこの姿勢こそが今の二朗君の『原点』なんです」

確かにカネはなく生活には苦労した。それでもカネじゃなく、夢を追い続けたからこそ、彼らの輝かしい「今」がある。

「週刊現代」2015年11月28日・12月5日号より



9: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:10:34.29 ID:JxENqBd00.net
風間トオルとどっちが貧しかったの?



13: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:15:29.23 ID:+n6hDCDV0.net
しかし、堤とか20代の若い頃から大河に出て、結構重要な役やってんのに、
それでも食えなかったのかな。



20: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:24:43.01 ID:InT14JmH0.net
ギリギリまで粘って辞めてった人も大勢いるんだろうな
いい年になってるんだしその後の人生きつそう



27: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 06:37:07.77 ID:fi9ksBL40.net
美談にすんな



33: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 07:16:02.97 ID:gvnsJ32E0.net
花咲くのはほんのひとにぎり。



35: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 07:21:33.32 ID:SOeHeE0OO.net
でも目標があったから、楽しい青春



49: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 09:22:08.20 ID:u/0ABRqi0.net
コンビーフみたいな高いもんよく使うな。



74: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 10:33:37.06 ID:5FPAeWia0.net
堤真一が名優ってw



104: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 12:41:49.94 ID:PAMO5F5x0.net
でも堺は昔から女からは人気があってアイドル的な感じだったとか聞いたな



89: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/12/06(日) 11:17:23.58 ID:6njSbFBN0.net
貧乏を自慢しだしら終わり



元スレ:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1449349486/


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厳しかったんだな

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